2020年3月



あふれるほどの春が来ていた




花束でもなく、紙袋に入っているのでもなく、電車の中で手に野花。

周りにいるほとんどの人がうつむいて小さな画面を見続けている車内で、緑のいのちと、そこにある物語を感じとるように握られた指先に引き込まれてしまった。

しばらくして次の駅に到着すると、その人はすっと立ち上がり、どこまでも前を向いたまま、ホームの人混みに消えていった。

知らない誰かが送っている人生の時間。その束の間。

























自分がどうしてここにいるのか、時々わからなくなって、こんなのわたしだけなのかな、と不思議な気持ちになることがある。

それを誰かに話そうとしても、言葉にしたらほんとうとは違ってしまう気がしてうまく話せない。だから、どうしようもない気持ちになった時、本の言葉を読み返した。

「感情って、悲しむだけの同一の感情で貫くのが深いとは言えず、笑ったり怒ったり忘れたりすることで、自分を守ろうとするんでしょうね。決して消えないものとして育っていく。」

ひとつを感じ続けなくていいし、苦しいものとして排除しなくてもいいし、忘れてもなくならないし、一緒にいてもいいんだと思った。

そうして、うまく表せない気持ちをそのままに、からだのなかに置き場所を作ることにしたら、その気持ちは安心していた。

いていいよ。いてほしい。

わたしに、そう言って欲しかったのかもしれない。