2022年8月

何年も決められずにいたカメラストラップをようやく新調した。いいねと声をかけながらカメラを触っていたら、1ヶ月前に壊れていた部品がすんなり直った。何回試してもできなかったのに。不思議なようで、不思議じゃない感覚。

ずっと焦っていた。新しいカメラにすれば変われると思っていた。でも、自分に何が足りないのか、どうしたいのか分からないまま、闇雲に探したって辿り着くわけなかった。大切なのはもっと別のこと。









ほんとうに伝えたかった言葉って何だったのかな。
「ほんとはね」って言ったところで、そのもっと深くに、言葉にならない一番大切な気持ちがあるのに、わたしはそれを取り出せないまま、伝えようとしてしまう。
思い出してみたら、そういう時のからだは緊張している。ぐっと力が入ってる。自分を包んでいる膜がぺちゃんこになって、自分を守ることに必死。相手の事情を尊重する気持ちを見失って、出てくる言葉は固く、コントロールを含んでいる。怖い。そんな自分はとてもいや。

やわらかいからだは…たとえば誰かと会った帰り道。あったかくて軽やかで、背筋も伸びていたりする。膜の内側はたっぷりと満ち満ちて、弾んでいる。きっと一緒にいた時、相手とも触れ合っていただろう。そうか、うれしかったねって、からだから心を知る。

いつだったか、「感情は “ rasa ” 液体なんだよ」と教えてもらったことがある。排除しようとしても、固体じゃないから掴んで出すことができないし、取り出そうとすると余計に掻き乱されてしんどくなる。気づいて、ただ在ることを見ていると自ずと落ち着くところへ落ち着くんだよ、と。
わたしは心と体の調子が悪かったり、自信がなかったり、無意識に自分の中にある怖れの種が反応したりした時、感情は暴れ始める気がする。期待、もあるかな。そんな時に、その場で感情と距離をとって “ 気づく側 ” にいるのはとても難しい。

じゃあ、少しでも、できることって何だろう。
少し落ち着いてから、心の湖を思い描いてみる。波立っていた怖れの下に隠れていたのは、あなたがいてくれてうれしいという、両手で掬い上げたくなるような、澄んだ気持ちだった。
いま感じているその安らぎを、からだいっぱいに広げて、覚えておこうと思う。
ゆらゆら揺れてしまう感情も、とても人間らしいものだから。そうなってもいい。それでも、からだが固くなった時、あ、いまずれている、って気づくきっかけにできるように。戻ってくる場所を覚えておこう。大切なものはそこにあるから。